2024年12月31日火曜日

お節料理、新世界で映画

1月1日(火・祝)

 あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 遅めの起床。10時過ぎに親類宅へ赴き、お節料理を頂く。

 正午過ぎにいったん帰宅して、散歩がてら単身新世界へ。昨年の元旦と同じく、東映の映画(深作欣二監督『仁義なき戦い 代理戦争』)を鑑賞。退館後、110周年で無料開放されている天王寺動物園に立ち寄る。

 徒歩で夕陽丘まで戻り、地下鉄に乗って谷町九丁目へ。上六のカフェにて一仕事。書きづらいメッセージを書き上げてイタリアへ送信。

 夕方、再び親類宅に赴き、賑やかに夕食。









2024年12月30日月曜日

ジョングルール、カンテリーノ、イアン・ギラン!

12月31日(火)

 ゆっくり起床。朝食をとってから、いつものように掃除機がけ。

 徒歩で上六のカフェに。小一時間ほど研究と作文に取り組む。

 それから近鉄とJRを乗り継いで桃谷へ。商店街で年越しそばを買う。親戚のお宅に立ち寄って、買ったばかりのそばを置いて帰宅。

 大急ぎで昼食をとり、阿倍野で映画『劇場版ドクターX』。いったん帰宅して今晩の食材を抱えて親類宅に。今年最後の任務を無事に終える。


 黄金期のディープ・パープルでヴォーカルを務めたイアン・ギランは、後年自分のバンドを結成して数枚のアルバムを出している。そのなかの一曲No laughing in heavenが、ちょっとふざけた面白い歌。この一節に、ギラン自身が一人二役で会話のやり取りをするパートがある(特に第4)。

Deep Purple - No Laughing In Heaven Lyrics | Lyrics.com

こういう歌詞は、ロックでは珍しいと思う。英国の舞台の伝統を感じさせるパフォーマンスイタリアの広場で騎士物語の弾き語りをしていた14~15世紀の演歌師(カンテリーノ)や、中世の大道芸人ジョングルールも、こんな至芸で聴衆を楽しませていたかもしれない。 

 これで一年の結び。歌で終わるが世の習い。

2024年12月29日日曜日

鶴橋、中崎、『カビリアの夜』

12月30日(月)

 朝食を食べたのち、家の半分だけ掃除機をかけて出立。地下鉄で鶴橋に出てお節料理の食材の買い出し。親戚のお宅に立ち寄って帰宅。

 家の残り半分の面積に掃除機をかける。

 昼食後、空堀の昆布屋さんで結び昆布を購入。そのまま地下鉄で中崎に行ってフェリーニの『カビリアの夜』を観る。ジュリエッタ・マシーナ扮するカビリアと、世俗の富と、聖フランチェスコについて思案する。

 退館後、久しぶりに中崎の商店街を歩く。天六に住んでいた頃によく散歩した界隈。そのまま天神橋筋に出て一丁目まで歩き、いつもの琉球料理屋さんで休憩。泡盛とシークアーサーのモヒートを頂く。

 店を出たのち、谷町線の天満橋駅まで歩いてそのまま地下鉄で帰宅。

 

ムッソリーニのひ孫

12月29日(日)

 早い時間に目が醒めてしまう。夜明けまで、年賀状を書いたり、調べものをしたり。

 朝食の後、掃除機がけ、自室の片づけ、洗濯物を干す仕事など。それから連れ立って年末の買い物。テンシバ(天王寺公園)で野菜を買いこみ、近鉄で針中野へ。駒川商店街の入口の蕎麦屋で昼食をとってから、新年の花などを購入。帰りは駒川中野駅から谷町線に乗る。

 帰宅後、昼寝をして、金ちゃんの飼育ケースの掃除、台所のダンパーの取り換え、宅配された食料品の収納など。忙しい。

 夕方、近所の郵便局に年賀状を出しに行くついでに、歩いて上六へ。いつものカフェで少し研究。

 先ごろ、スタジアムのファンがローマ式敬礼で声援を送って問題となったムッソリーニのひ孫のサッカー選手Romano Floriani Mussoliniは、セリエBのJuve Stabia(カンパーニア州)というチームの所属。本人は政治とは距離を置いていると発言しているようなので、今回の騒動は迷惑千万だったかもしれない。母は、国民同盟所属の議員だったアレッサンドラ・ムッソリーニ、祖父はジャズピアニストのロマーノ・ムッソリーニ。この祖父の一曲:Meditation - Romano Mussolini





2024年12月27日金曜日

研究室、スタンプ台を購入

12月28日(土)

 朝食、掃除機がけの後、大学へ。

 自分の研究(Furioso)と業務と雑用を、少しずつ。大学に来るのは今日が年内最後なので、机の上をきれいに片づけ、観葉植物の小鉢を抱えて、15時過ぎに退室。

 今日も京阪特急の車内で熟睡。天満橋の地下に入ったところで覚醒して、慌てて(でも忘れ物のないよう気をつけて)下車。

 帰宅後、スタンプ台を買いに上六へ。年賀状に使うために縹(はなだ)色の品を購入。住所・氏名を入れたスタンプを差出人欄に押すためのインク。このスタンプは今年作ったもので、使うのは今日が初めて。試してみたらいい色合い。この差出人欄以外は手書きなので、一枚の賀状を作るのにそれなりに手間がかかる。がんばって半分ほど書き上げ、近所の郵便局に行って投函。

 夕方からプールで泳ぐつもりだったが、確認したところすでに年末休暇でお休み。う~ん。

2024年12月26日木曜日

研究、散歩

 12月27日(金)

 定時に研究室に到着。

 教務関連の仕事をしてから、久しぶりに自分の研究(アリオストのFurioso)。ちょっとひっかかるところあり。大学院生さんが来訪。題目シールを手渡しがてら少し雑談。

 昼食にお弁当のつけ麺。

 自分の勉強をちょっとだけしてから気分転換に外に出る。久しぶりに北白川まで散歩。

 部屋に戻ったらメールがどっさり。来年度の系ゼミに関して問い合わせがあったので、教務掛に電話で情報を確認する(2回)。

 所要のため16時過ぎに退室。

 上六のハイタンに入ったら、たいそうな賑わい。仕事納めの金曜日なので、むべなるかな。

北白川の人文研


2024年12月25日水曜日

業務、紀要、クマの出版社

12月26日(木)

 定時に研究室。
 
 午前は、シラバス作成のつづき。思いのほか時間をとられる。13時過ぎに一通り終了。

 昼食後、先日イタリアから届いた書籍の処理。書類をそろえて7冊の本とともに図書館の受入掛に提出。
 今回購入した書とは関係ないが、よく参照するEdizioni dell'Orso社の文献の背表紙、クマがかわいらしい。



 夕方、紀要の再校を執筆者の皆さんにメール送信。

 その直後に、予期せぬ来訪あり。色々と近況をうかがう。

 仕事が残っているが疲れているので19時に退室。
 帰路の京阪特急で寝過ごしてしまい、北浜で慌てて下車。

2024年12月24日火曜日

Buon Natale、鮒ずしの麴を使ったパスタ

12月25日(水)

 定時に研究室に到着。

 同僚の先生へメールの返信、紀要の校正、系ゼミの先生方へのメール連絡など。

 昼食後、印刷所にメール。紀要の編集作業など。がんばる。

 仕事が山積しているが、クリスマスなので18時半過ぎに退室。

 夕食に、鮒ずしの麴を使ったキノコのパスタを頂く。オリーブ油にニンニクと麴を加えたソース。キノコはマッシュルーム、エリンギ、マイタケの三種類。ヘルシーなタッリアテッレ。美味。鮒ずしの麴の利用は、相方殿がテレビで入手した情報。料理の好きな方はお試しあれ。

 

家のちびプレゼーピオ

2024年12月23日月曜日

非常勤、ドルチェ、論文の表紙

12月24日(火)

 朝一で非常勤。タッソの英雄詩(『エルサレム解放』)と創作理論について説明。

 11時過ぎに百万遍に到着。

 昼食を挟んで業務。文学部図書館に本の返却(うっかり返却日を超過してしまう。すみません)と借り出しなど。借りた本を手提げ袋に閉まっていたところ、元研究科長の大先生に声を掛けられる。研究に必要な書籍を借りに来られたそうで、現役時代とまったくお変わりないご様子。探究に打ち込んでいるお姿に励まされる。

 その勢いで、自分の業務(来年度のシラバスの入力)を進める。

 同僚の先生からドルチェを頂く。

 隣の共同研究室でイベントが行われているようなので早めに退室。

 帰宅後、家事。一通り終えてから近所の図書館に行って自分の仕事(校正)。

 気分転換に上六まで散歩。

 昨日のタッソの授業の際に、専修の大学院生に修士論文の題目ラベルを渡したところ、それを張り付ける表紙が話題になる。この黒色の表紙、文学部の学生さんにはおなじみの品。その場に居合わせた他専修の大学院生さんが教えてくれたところでは、教務掛からこの表紙を提供するとのアナウンスがあるが、連絡があったその日に取りにいかないと在庫切れになるとのこと。生協で買うと600円くらいするそうなので、来年度に論文を提出する皆さんはどうぞご注意を。

 

タッソの"Il messaggiero”、Paolo Giovioのインプレーサ論

12月23日(月)
 
 定時に研究室に到着。
 
 メールを確認したところ、対応を怠っていた一件に気がつく。大急ぎで調査をして報告。それから2時限、3時限の支度。あわただしい。
 
 午前のタッソの授業では、当代の優れた大使・外交官を列挙したIl messaggieroのくだりを読む。名前を挙げられた人物はほぼすべてタッソが知己を得ていた人物。パトロネージを期待しての賛辞。『忠実な羊飼い』Il pastor fidoの作者で、タッソと同じくフェラーラのエステ家に仕えたGivan Battista Guariniの名前も見うけられるので、この文人について簡単にコメント(悪口)。

 昼食後、急いで印刷所に初校の戻し。

 午後の文学史の授業は、16世紀のイタリア半島で流行したインプレーサについて。象徴的図案の伝統(家紋・紋章など)、比喩・メタファーについてのアリストテレス見解、キリスト教におけるアレゴリー、シンボル(象徴)の意味合いの時代による変化など、まとめて解説。パオロ・ジョヴィオのインプレーサ論からその実例を紹介。

 授業終了後、業務、イタリアから届いた書籍の確認、明日の授業の準備など。夕方少し早めに退室。

 帰宅後、家事。すべて終えてから上六のカフェに。1時間ほど自分の仕事。

 

2024年12月22日日曜日

映画と、プール

12月22日(日)
 
 朝食の後、いつものように掃除機をかける。急いで支度をして梅田へ。パーシー・アドロン監督『バグダッド・カフェ』。モハーヴェ砂漠の風の強さとたくましい人たち。
 
 映画を観た後、駅のショッピングモールを歩く。クリスマス前なので梅田の百貨店は通勤電車並みの込み具合。帰宅して昼食にカレーうどんを頂く。
 
 金ちゃんの水槽の水替えをしてからプールへ。鼻栓がゆるくなって用を足さないので、鼻に水を通さない課題をこなす。ビート版でのバタ足の練習と25メートル息継ぎなしのクロールなど。バタ足はかなりきつい。
 
 まっすぐに帰宅。夕方以降は、のんびり。

2024年12月20日金曜日

研究室へ、編集作業など

12月21日(土)

 朝ごはんを食べ、掃除機をかけてから、大学へ。12時ごろに到着。いつもより少し遅い。

 編集作業。執筆者のお一人にメールを送信、もうお一方からの連絡に返信。一区切りついたところで出町柳で購入したおにぎり(鮭、梅、カツオ)とインスタントのお味噌汁。上等。

 昼食後は、教務関連の業務。だいたい目途がついたので、月曜日にはファイルを送信できそう。夕方、来年度の授業シラバスの入力にとりかかる。あともう少し。

 17時過ぎに退室。帰阪したら雨。ちょっとバタバタしたが無事にクリスマスのイベントを終える。

2024年12月19日木曜日

ペトラルカのソネット167

12月20日(金)

 今日も定時に到着。早めに自分の仕事(校正)にとりかかる。

 2時限の時間帯にZOOM会議。来年度が大変そう。事務に情報共有のご連絡。

 昼前から3時限の支度。今日のペトラルカの演習で読んだ作品の一つは、ラウラの美しい声と、そこから「私」が感じとる甘美な死をテーマにしたソネット。声の美しさというのは日常生活のなかではあまり意識されないが、話しの内容や話し方ではなく、声そのものの美しさというのが確かにある。

 授業終了後、自分の仕事のつづき。クリスマス前にようやく一区切り。

 イタリアにメールを送信して20時過ぎに退室。

2024年12月18日水曜日

FD研修会、他

12月19日(木)

 定時に研究室に到着。寒い。

 午前中に一つ仕事を進める。

 午後、委員の立場でFD研修会(性被害と加害)に対面で参加。勉強になる。研究室に戻って今度はZOOM開催の教授会に。

 夕方から、時間のかかる校正作業。同僚のイタリア人の先生にメールを送信して、20時過ぎに退室。

2024年12月17日火曜日

歴史講読(アーケード)

 12月18日(水)

 定時に研究室に到着。

 午前の前半に自分の仕事。休憩がてら百万遍に出ていつものコンビニでヨーグルトを買い込む。研究室に戻って、インターネットで情報の収集。

 昼食後、4時限の支度。今日の授業で読んだのは、ミラノのGalleriaの写真とその解説。都市のアーケードは19世紀初めから建造されるようになったとのこと。ロンドンのバーリントン・アーケードやブリュッセルのギャルリー・サンチュベールなどがその時期に造られたアーケードの代表格。ミラノのガッレリーアもそうだが、いずれもたいそうエレガントなショッピング・ストリート。自分が住んでいる大阪では、アーケードといえば下町の商店街なので、かなりギャップがある。たこ焼きを売っているような商店街アーケードはいい感じ。

 授業終了後、散歩がてら附属図書館に。すこし仕事をして研究室に戻る。

 寝不足気味で仕事の効率が悪い。20時過ぎに退室。

 後輩の先生に、スグキ漬けのお礼メールをお送りする。

2024年12月16日月曜日

非常勤、系ゼミの連絡

12月17日(火)

 朝一で非常勤の授業。11時過ぎに百万遍に到着。

 メールを確認し雑用を済ませてから昼食。

 午後は、校正と教務関連の業務。系ゼミの先生方に開講形態、日時について確認のメールを送信する。

 17時過ぎに退室。家事をしてから近所の図書館に行って校正のつづき。久しぶりに朝日新聞を読む。

 夕食に、昨日いただいたすぐき漬けを賞味する。上品なお味でびっくり。酒が弾みますな。ありがとうございました。

2024年12月15日日曜日

公聴会、マキァヴェッリ、すぐき漬け

12月16日(月)

 定時に研究室に到着。

 資料(正誤表など)の準備などをしてから、10時開催の公聴会の会場(会議室)へ。多々貴重なご意見を頂く。論文を書く上でストイックに傾き過ぎるところがあるので、次はその反対を意識したい。

 昼休みに、大学院生が来訪。書類へのサインなど。あともう少し。

 3時限の文学史では、前回に引き続いて『君主論』。特にマキァヴェッリの「運命」に対する見解について。マキァヴェッリの政治論は統治に関する技術論(アルテの考察)と見なすことができる。氾濫した河川に「運命」を譬えた比喩(25章)からわかるように、転変する運命は混沌とした自然(natura)と重なりあう。統治術は、この不安定な運命(自然)を制御するアルテと見なすことができる。

 一方で『君主論』では、君主の「力量」が「運命」に対峙する概念として位置づけられている。統治術をアルテの一種と考えた場合、「力量」と「アルテ」の関係が問題になる。

 25章では、君主の「力量」が時勢(運命)に合う場合と、そうでない場合が論じられている。そして、人の資質は簡単には変えられないこと、したがって運命の変化に合わせて自分のやり方を変えられる人もほとんどいないことが指摘されている。いくら統治術を知っていても、ある状況に適した行動をとれるか否かは、君主のパーソナリティによる。この点で「アルテ」と「力量」はイコールの関係にあるのではなく、「アルテ」を行使する力として「力量」が位置づけられるように見える。

 授業終了後、研究室で書類の手直しをしていたら、後輩の先生が上賀茂の「すぐき漬け」を届けてくださる。「これをあてに、酒をのむと……」という話になり盛り上がる。わざわざ、ありがとうございます。

 17時過ぎに退室。帰宅後、家事。

プール、その他

12月15日(日)

 朝食、掃除機がけの後、近所の図書館へ。校正を1時間ほど。

 帰宅して昼食に即席めんを頂く。

 一服してからプールへ。数日前にかるいぎっくり腰をやらかしたが、泳ぐことはできそうなので、無理をせずにがんばってみる。いつにもまして、ゆっくり、のんびりクロール。

 今日は泳いでいる途中で鼻栓が外れるアクシデントあり。水中を探してみたものの見つからないので、いったん更衣室に戻り予備の鼻栓を着用して、さぁ泳ぎ直そうとしたところ、隣のレーンのシニョーラが「あの、鼻栓をなくされましたか?」と声をかけてくださる。その方がくだんの品を見つけて係員に届けてくださったそうで、恐縮して頭を下げる。おかげさまで無事に回収。

 プールを出た後、久しぶりに近くの温泉へ。サウナで汗を流す。

 いったん帰宅してから上六のカフェに。校正。言づかった衣類をユニクロで購入し、ドラックストアーで自分の買い物をして帰宅。


2024年12月13日金曜日

研究室へ

12月14日(土)

 朝食、掃除機がけの後、大学へ。百万遍から構内に入ったところで同僚の先生に出会ってご挨拶。11時半ごろに研究室に到着。

 月曜日に備えて、論文の見直し。

 昼食後、見直しのつづき。寝不足気味で調子が上がらないが、夕方までになすべきことを一通り終える。

 月曜日の授業の準備をして19時ごろに退室。

2024年12月12日木曜日

Verona, Mantoa, Arunca

12月13日(金)

 定時に研究室に到着。集中できる時間に自分の仕事。昼前から業務。

 昼食後、3時限の支度。今日読んだソネット166の第一連に次のような一節あり:


Fiorenza avria forse oggi il suo poeta,

non pur Verona e Mantoa ed Arunca;

(訳)ヴェローナ、マントヴァ、アルンカのみならず

フィレンツェも今日恐らくは自分の詩人を得ていたことだろう。


ヴェローナはカトゥッルス、マントヴァはウェルギリウス、アルンカは分かりずらいがルキリウスの出生地。「それぞれの街がラテンの大詩人を輩出したように、フィレンツェも郷土のラテン詩人を誇れたことだろう(もし私がラテン語の詩作をつづけていたら)」という主旨の詩行。ペトラルカがさりげなくダンテを無視しているところが面白い。

 アルンカは、カンパーニャのセッサ・アウルンカ(Sessa Aurunca)というコムーネのこと。「こういう町が、あるんかと思いましたね」とかましてみたが不発(うぅ)。

 授業終了後、一仕事。16時過ぎに退室。桃谷の眼科で定期検診を済ませてから、自宅近くの図書館に立ち寄って小一時間ほど自分の仕事のつづき。

オンライン会議、オンラインの雑談

12月12日(木)

 定時に研究室に到着。

 業務、自分の仕事、業務、というペース配分で午前を過ごす。

 昼食後、附属図書館に書籍の返却。それから研究室に戻ってZOOM会議。いくつか発言。

 会議終了後、少しゆっくりする。夕方、自分の仕事、明日の授業の準備、印刷所への連絡など。

 19時過ぎに退室。

 夕食後、オンラインの雑談。ユナイテッドヘルスケアーのCEOを殺害したイタリア系アメリカ人のLuigi Mangioneと、正義の実現のために人を殺す是非について。

2024年12月10日火曜日

イタリアの養蚕業

12月12日(水)

 定時に研究室に到着。今日は百万遍の手前で2羽の大鴉に遭遇。

 午前の集中できる時間に自分の仕事。一服がてら百万遍まで散歩。いつものコンビニでヨーグルトをまとめ買い。研究室に戻って、教務関連の仕事。

 昼食後、4時限の歴史講読の支度。今日読んだのは、1918年に撮影された、蚕の繭の選別作業に従事する女性たちの写真の解説。19世紀後半から20世紀初めにかけてイタリア半島で養蚕業が隆盛したこと、1855年以降、微粒子病(pebrina)の流行で養蚕が壊滅的な打撃をうけ、南部では完全にこの仕事が消えてしまったが、北部のロンバルディア、ベネトではまもなく事業が再開されて生産が拡大したことなどが紹介されている。上記のイタリア養蚕業の窮地を救ったのが、日本から運ばれたお蚕さん。この分野は大阪大学のベルテッリ先生が研究されているので、学生さんたちにご紹介。

 授業終了後、教務関連の仕事。苦戦。

 20時ごろに退室。

San Lazzaro di Savena

12月10日(火)

 非常勤の1時限の授業をしてから大学へ。11時半前に研究室に到着。出町柳で購入したお弁当を食す。

 昼食後、教務関連の仕事。時間割を組むのが難しい。一服してから、自分の仕事。

 夕方、教務掛に問い合わせの電話を入れるも、担当の職員さんが不在。明日再度連絡すべし。

 17時過ぎに退室。帰宅後、家事。それから鉄の意志で近所の図書館に赴き、1時間ほど自分の仕事。

 今日の昼間、Repubblicaのサイトでアルベルト・トンバの写真を見かける。ちょっと気になったのでwikiで情報を確認したところ、トンバがBologna郊外のSan Lazzaro di Savenaの出身であることを知って驚く。サン・ラッザロ・ディ・サーヴェナはイタリア留学時に自分が住んでいた町、大きな公園があるエミリア街道沿いのコムーネ。スキー選手のトンバには山のイメージがあるので、意表をつかれた。

2024年12月8日日曜日

大鴉、雄弁術と料理術

12月9日(月)

 今朝百万遍に来たところで、大鴉が三羽、立派な羽根を広げて頭上を追い越していった。nevermore、と思わずつぶやく。定時に研究室に到着。

 2、3時限の支度と、メールの返信。

 午前のタッソの授業では、天の使者(≒天使)から地上の使者(≒大使)へと話題が展開する箇所を読む。その展開に先立って、「私」と「聖霊」の間で、大使の理想の姿を、弁論家の理想のあり方から考察することが確認される。その確認に際して「聖霊」が、これとは別のやり方もあることに言及している。それが、雄弁術("l'arte oratoria")を料理術("l'arte de la cucina")に重ねあわせて考察するという思いがけない方法。

 この二つのアルテを結びつけた記述は、プラトンの『ゴルギアス』の一節に確認できる。それによると、体育術(体を鍛えるアルテ)に対して化粧法(体の表面を装う手管)があり、後者はうわべを見せかけるやり方、迎合と位置づけられる。これと同じ関係が、医術と料理法、並びに、裁判術と雄弁術の間に存在することが該当箇所で指摘されている(それぞれ後者が迎合的)。実質・実体を重んじるプラトンらしい見解。この記述から、雄弁術と料理術の類縁性が導き出されることになる。

 午後の文学史は、マキァヴェッリの『君主論』について。当時のフィレンツェ(イタリア半島)の状況とマキァヴェッリのキャリアーを紹介。

 その後、オンラインの会議。問題なく終了。自分の仕事を少しだけ進めて退室。

 帰宅後、家事。


リョン・チウワイと、レストランの予約

12月8日(日)

 朝食、掃除機がけ。それから近所の図書館に赴き1時間ほど机に向かう。集中できた。

 帰宅して、昼食の即席ラーメンを頂く。

 13時過ぎにプールへ。肺活量を増やすのに、25メートルを息継ぎなしで泳ぐという練習があるそうなので試してみる。自分は息が短いので心配だったが、向こうサイドまで無事に到着できた。のんびり泳ぎの合い間に、息継ぎなしの25メートルクロールを計3回。

 プールからまっすぐ帰宅。金ちゃんの飼育ケースの掃除。

 一服してから上六のカフェに行って明日の授業の準備など。寒い。

 今朝相方さまが上六で買い物をしていたところ、もみじ饅頭を売っているブースに広東語を話すご夫婦がいたので、どこから来たのですか、と英語で尋ねたところ、予想どおり「香港からです」という返事が返ってきたそうな。そこで「私は、昔、昔の大昔、イギリス統治時代の香港に行ったことがあります」と自己紹介をして、さらに「好きな俳優は香港人のリョン・チウワイです」と語ったところ、いたく感激されたとのこと。相方の、す~と話を始める垣根の低さとコミュニケーション能力の高さにはいつも感心する。ちなみに上記の名前、私にはまったく分からなかったので「誰、それ?」と確かめたところ、トニー・レオンの広東語の呼び名とのこと。そんな情報までよくご存じで…。

 しかし、不思議なことに、相方さまはレストランへの予約の電話はよくしない。クリスマスの食事会の手配をしなければいけないのになかなか腰を上げないので、私が代わりに予約。不思議。

2024年12月6日金曜日

研究室

12月7日(土)

 朝食、掃除機がけの後、大学へ。12時前に到着。

 切りのいいところまで校正をしてから13時過ぎに昼食。

 来週の授業に必要なプラトン『ゴルギアス』を附属図書館からお借りする。この一節で、修辞学が料理法と比較されている。詳細はまた来週。

 校正を少し進めて17時過ぎに退室。

 

いい色合い

 

2024年12月5日木曜日

sonetto 162、Cabani先生の論考

12月6日(金)

 定時に研究室に到着。昨夜届いたメールに返信をしてから、自分の仕事(校正)。

 一区切りついたところで、紀要の初校を執筆者の皆様に送信。同僚のイタリア人の先生から何だか丁重なお返事を頂く。

 昼食後、3時限の支度。今日読んだ一節(sonetto 163の第二連):

 Sai quel che per seguirte ò già sofferto,

et tu pur via di poggio in poggio sorgi,

di giorno in giorno, et di me non t’accorgi

che son sì stanco, e ’l sentier m’è troppo erto.

(訳)

あなたを追いかけ苦しんできたことを知っているのに、

くる日もくる日も、丘から丘へ、あなたは

いつも舞い昇り、私がこれほど疲れているのに

気づきもしない、道のりはあまりに険しいのに。


この一連だけではわからないが、二人称単数の主語は、ラウラではなく愛の神(Amore)。最後の一行は頭韻のsがさりげない存在感。

 授業終了後、他専修の方から、研究室に置いてある文献(M. C. Cabani, Le forme del cantare epico-cavalleresco, Lucca, Maria Pacini Fazzi Editore, 1988)をお借りしたいという奇特な依頼あり。うれしくなって、カバーニ先生の論文がいかに面白いかを力説する。この論考も宝の宝庫。

 授業終了後、少しだけ付属図書館に立ち寄って軽作業。研究室に戻って開示用のデータのレイアウトに手を加えて20時過ぎに退室。

各種業務、Museo Egizio

12月5日(木)

 定時に研究室に到着。

 集中できる時間に自分の仕事。しかし、進まない。註の情報の確認に想定外の時間をとられる。がんばるべし。

 いくつか重要な要件をこなす。

 昼食後、イタリアの知人に激励のメールを送信してから、明日の授業の準備、自分の仕事のつづきなど。来年度の系ゼミ担当の先生方に問い合わせのメールをお送りする。

 仕事が山積。一つずつ確実に。

 19時過ぎに退室。

 夕食後、オンラインの雑談。トリノのエジプト博物館(Museo Egizio)について。館長さんが見識あるやり手のようだ。


 

2024年12月3日火曜日

歴史講読(イタリア移民)

12月4日(水)

 定時に研究室到着。

 急ぎの案件の一つに取り組む。何とか午前中に同僚の先生に原稿チェックの依頼メールを送信。優先順位の高いもう一つの案件もだいたいクリアー。ふぅ。

 昼食後、4時限の支度。今日の授業では、移民の肖像写真の解説を読み終え、次の洗濯場の写真の説明に進む。前者は、カナダに向かった移民の存在に言及している(写真もトロントの写真館で撮影されたもの)。アメリカ大陸では、合衆国とアルゼンチンがイタリア移民の主要な受け入れ先だったので、カナダは両国に比べると目立たないが、ここでも他の国と同様にリトル・イタリー"Piccole Italie"が形成されており、(郷土の)食料品を扱う店や、カフェ、イタリアレストランなども一部の移民に仕事を提供していたとのこと。

 授業終了後、和訳の採点、自分の仕事、同僚へのメールの送信など。

 所要があるため18時に急いで退室。帰路、上六へ。


2024年12月2日月曜日

非常勤、StellantisのCEOの辞任

12月3日(火)

 非常勤の授業を終えて、11時過ぎに出町柳に到着。お弁当を購入してから百万遍へ。コンビニでいつものヨーグルトを買い込む。

 午前の残り時間で教室の予約状況を確認し申請書を受けとる。

 昼食後、自分の仕事三種、申請書の提出、問い合わせのメール送信など。17時過ぎに退室。

 帰宅後、大急ぎで家事。19時過ぎに近所の図書館へ。1時間ほど自分の仕事。

 ステルランティス(Stellantis)のカルロス・タバレスCEOが、任期を2年余り残して辞職した件がイタリアで波紋を広げている。自動車産業はすそ野が広い。イタリア国内にはステルランティス関連の労働者が4万人いるそうなので、合理化が進められた場合の影響が大きい。見通しが効かない世界情勢の中で舵取りがいなくなるのも不安。労働組合からは当然の懸念の声。

"Stellantis, si dimette l'ad Carlos Tavares


天上の使者と地上の使者

12月2日(月)

 定時に研究室に到着。

 2時限と3時限の支度。午前のタッソの授業で読んだ『使者』の一節:

Allora io così cominciai a favellare: -Assai ho io da te, cortese spirito, apparato; ma se noi contempliamo volentieri per esser poi più atti a l’operare, quel c’hai detto del celeste messaggiero vorrei ch s’accompagnasse con alcuna cosa appatenere a l’umano ambasciatore. (Il messaggiero, 193)

訳:そこで私は次のように語り始めた「私はあなたから、寛大な聖霊よ、多くのことを学びました。しかし、私たちは、実践により巧みになることを目指して観想にいそしんでいるので、あなたが天の使者についておっしゃったことが、人間の使者に属する何らかの事がらと結びつけられることを私は望んでいます」。

この一節は「私」(タッソその人)が聖霊に語る言葉だが、ちょっと分かりづらい。2行目のcontempliamoは、後続の不定詞l'operareと対をなしている。なので前者の「私たちは観想する」に対して、後者は「行動」「実践」などの訳語がよいかと思われる。最後のvorrei cheの節内の主語は、quel c'hai detto del celeste messaggiero「あなたが天の使者(天使のこと)について述べたこと」。この天使についての教えが「人間の使者に適応されることを私は望んでいる」というのが末尾の主節のメッセージ。天上と地上(マクロコスモスとミクロコスモス)の照応がうかがえる一節。

 午後の文学史の授業では言語論争について説明。ベンボの『俗語論』(『俗語論』第一書、深草真由子訳、『原典 イタリア・ルネサンス芸術論』下巻所収)から議論の要点を紹介する。ありがたい。

 授業終了後、雑用、業務、明日の授業の準備など。17時過ぎに退室。

 帰宅後、家事。

2024年12月1日日曜日

大学へ

12月1日(日)
 
 朝食、掃除機がけの後、今日は大学へ。11時過ぎに研究室に到着。
 
 校正を少ししてから出町柳で購入したお弁当を食す。午後は、公開用のデータの整備など。
 
 イタリアに一件メールを送信してから17時過ぎに退室。
   
 帰宅後はゆっくりする。また明日から頑張ろう。