2025年12月14日日曜日
休日?
2025年12月13日土曜日
研究室へ
2025年12月12日金曜日
赤ちゃん!
2025年12月11日木曜日
会議、業務
2025年12月10日水曜日
授業(歴史講読)ほか
Nel 1500, della popolazione mondiale di 450 milioni di abitanti, il 20% era composto da popolazioni relativamente arretrate che praticavano il debbio oltre che da nomadi, pastori, allevatori, che vivevano ai margini delle civiltà agricole.
農業文明の周縁という考え方が面白い。そこにいるのが遊牧民や牧人たち、中心にいるのが土地を耕作する人たち。
授業終了後、自分の仕事のつづき。捗らない。明日に持ち越し。
21時過ぎに退室。
2025年12月9日火曜日
非常勤、Lia Piano
朝一で非常勤の授業。前回に続いてクルーズ船による大規模な人の移動と、グローバル化(財・物資・サービスの大規模かつ高速な流れ)についての解説を読む。
11時過ぎに百万遍に到着。
今朝の授業のアフターケアーをしてから昼食。
午後、極端に仕事の能率が落ちる。理由ははっきりしている。諸悪の根源、寝不足。昨夜は早めに床に就いたが、家のなかが騒がしくて寝つけず。簡単な勉強をして調子を上げる。
夕方、自分の仕事を切りのいいところまで進めて17時前に退室。
帰宅後、家事。それから近所の図書館で1時間ほど研究。
建築家レンツォ・ピアーノの娘さんLia Pianoの、人形Kenとの40年ぶりの再会を巡る捧腹絶倒のエッセイ。おもしろい方だな。おもちゃをいじめてしまった経験は自分にもあり:“Mi sono fatta ghostare anche da Ken. Mal’ho ritrovato, e ci siamo perdonati”。
2025年12月8日月曜日
授業(タッソ、文学史)
(訳)「(大使の技は)君主たちの融和のみなもとたりえる」と聖霊は答えた「これ以上に都市において有益なものはありえない。というのも、ある仕方で言われた多くのことが、別の仕方で言われた場合よりも、君主たちの精神を友情のうちに結び合わすのにいっそうかなっているし、またある様態で言われた多くのことがらが、別の仕方であればそうなりえないのに、彼らの心を離反させる可能性があるからだ。
2025年12月7日日曜日
休日?
2025年12月6日土曜日
大学へ。カマキリ(mantide)
2025年12月5日金曜日
授業、業務、久しぶりの再会
Torsele il tempo poi
in più saldi nodi,
et strinse ’l cor, d’un laccio sì possente,
che morte sola fia ch’indi lo snodi.
この"nodi"は、編んだ髪の縒り合された部分を指していると考えられる。日本語にするとどのような表現になるのだろうか。
授業終了後、急いで研究室に戻って部屋を片付ける。15時過ぎに客人ご到着。かつての同僚ダニエーラ・ヴァガータ先生。近況と今後の予定について話しあう。今回の来日では関西在住のご友人たちにあいさつ回りをしているそうで、在職中にお世話になった大学の事務員さんにこれからご挨拶に行くというので、今は別の部署で仕事をされているその方のもとまでご案内する。
2025年12月4日木曜日
研究と仕事、煮干し
2025年12月3日水曜日
歴史講読ほか
定時に研究室に到着。
自分の仕事と研究に取り組む。合間に事務に電話を入れて業務に関する情報を確認。仕事の効率が上がらないので、久しぶりに附属図書館を使わせてもらう。11時半ごろに退館して、そのまま百万遍へ。ドラックストアでヨーグルトなどを購入。
自室にもどって授業の準備。
昼食につけ麺を頂く。それから4時限の支度と自分の仕事のつづき。
今日の歴史講読は、アルプス以北のヨーロッパの地勢について。大西洋からウラル山脈に至る巨大な平野の潜在的な可能性が、農業技術の発展とともに開花したという説明を読む。
授業終了後、和訳の課題の確認をしてから、いま一度附属図書館へ。自分は自室にいると、どうも気が緩みがち。親類の書斎を使わせていただくのも同じ理由から。19時ごろに退室。
2025年12月2日火曜日
授業(crocieraについて)、業務など
2025年12月1日月曜日
授業(タッソ、文学史)
«Se ben la
verità» rispose «per se stessa è buona e la
menzogna rea per sé,
nondimeno ne le cittadinanze è tolerato che i principi e i magistrati le dicano
per utilità de’ soggetti, come a’ medici è lecito di dir la bugia per salute de gli
infermi.