2025年1月24日金曜日

essereの遠過去fue

1月24日(金)
 
 定時に研究室に到着。

 予期せぬ問い合わせメールがあり、急い対処する。こちらが送ったメールを受信者さんが見落としていたために、なすべきことがなされていなかったようだ。こういうことはいつでも誰にでも起こりえるので、重要メールを送る際には確実に読んでもらえるように工夫する必要がある。いくつか方法があるので、試してみよう。

 ちょっと一服してから、数日来つづけている事務仕事。ようやく完了。すっきり。あとは授業の支度。

 昼食後、3時限の教室へ。今日読んだソネット168の冒頭2連:
 
    Amor mi manda quel dolce pensero
che secretario anticho è fra noi due,
e mi conforta, et dice che non fue
mai come or presto a quel ch’io bramo et spero. 

    Io che talor menzogna et talor vero
ò ritrovato le parole sue,
non so s’i’ ’l creda, et vivomi intra due.
Né sì, né no nel cor mi sona intero.

ご覧の通り、2行目と7行目の行末にdueが反復されている。前者は「二人」「両者」、後者は「二つ」「双方」「両極」といった意。同じ名詞が韻を踏んでいるが、内容が異なっているので一種の同音意義のリーマと考えられる。また2行目の"secretario"は「信頼できる人」「秘密を打ち明けられる人」と解される。
 3行目のfueは、essereの遠過去三人称単数形(fu)。この語形は韻を踏むために使われる。ダンテの『神曲』に類例あり:Pur XVIII 133, Par VII 101, XI 38など。この「天国篇」の二例はどちらも、fue, sue, ambedueの組み合わせ。「煉獄篇」の該当箇所でも同様の語(due fue, sue)が韻を踏んでいる(この直前にnacque, tacque, piacqueという脚韻もあり)。
 "fue"は、タッソの『エルサレム解放』にも確認できる(魔女アルミーダの城館が消え去る場面)

 né più il palagio appar, né pur le sue 
 vestigia, né dir puossi: «Egli qui fue». (Gerusalemme liberata XVI 69 7-8)
 城館はもはや見えず、その
 痕跡すらなく、「ここにあった」と言うこともできない。

連末尾のこのfueは印象的。

 授業終了後、教務関連の仕事。
 今日は少し早めに退室。