2024年5月9日木曜日

ペトラルカのCanzone 135

5月10日(金)
 
 定時に研究室に到着。データの補完作業。

 隣の共同研究室で、若手研究者が本日2時限の系ゼミナールの準備をしている。昨日会った際に風邪を引いたとうかがっていたが、話しのとおりに激しく咳込んでいる様子だったので、授業前の教室に立ち寄って、のど飴を差し入れする。ファイト!

 そのまま図書館に行って3時限の授業の支度。すでに準備をしているのでそれほど大変ではない。途中、学生からのメールに返信。こちらはちょっと大変。

 昼過ぎに研究室に戻る。食事中、くだんの学生さんが来訪。容体をたずねつつ書類にサイン。

 3時限の授業は無事に終了。CanzoneのCXXXVの第3連で、soleを行末に反復した同音意義の脚韻(rima equivoca)について注意を喚起する。こんな感じ(テクストはSavoca版、以下の引用では行頭の大文字表記を小文字に修正)。

una fontana, e tien nome dal sole,  47
che per natura sole  48
ch'e' 'l mio sol s'allontana, et triste et sole  55
e i rai veggi apparir del vivo sole,  58

47行目のsoleは名詞(「太陽」)、48行目は動詞(solere「~するのが常である」の直説法現在3人称単数形suoleに相当)、55行目は形容詞の女性複数形(「孤独だ」「一人ぼっち」)、58行目は再び名詞(「太陽」ただしここでは「生きている太陽」で恋人ラウラを指す)。

 この一節のテーマは、昼は冷たく、晩に熱を放つ、アフリカに存在するとされた不思議な泉。この泉の性質が、恋人の瞳が見えなくなると燃え上がり、現れると凍りつく詩人の姿と重ねあわされている。同音意義の一連のsoleは、この錯綜した状態を表現するのに寄与している、と考えられる。