2024年11月10日日曜日

タッソの対話篇、イタリア文学史、相談事

11月11日(月)

 定時に研究室に到着。フル回転で2時限、3時限の準備。夕方の来客に備えて部屋を整理整頓。

 午前のタッソの授業で読んだ個所に次のような一節あり:

Questa catena altro non significa che la catena amorosa,con la quale Iddio potentissimo non è mosso da gli dei minori o da l’altre creature, ma egli tutte le muove come amato e desiderato: perché se Iddio amasse per ricever perfezione, l’oggetto amato sarebbe l’agente ed egli sarebbe il paziente, onde ne seguirebbe ch’egli sarebbe giù tirato:

この代名小詞のneは、前の内容をうけてdi cioという含み。seguire che...と合わせて「そこから(che以下の結果が)生じる」という意味。タッソの対話篇に度々出てくる表現ではある。

 3時限の文学史では、ボイアルドとアリオスト(及びフィレンツェとフェラーラの騎士物語の評価の違い)について説明を始める。アリオストの『狂えるオルランド』を念頭に、作品の主要人物が狂人となる意味を解説する。『ドン・キホーテ』では、自分を騎士と思い込んだ主人公の特異なヴィジョンが、世界の見方を相対化する役割を果たしている。一方『狂えるオルランド』の場合は、強さと分別と徳を兼ね備えた騎士が、全裸で野原をさまよう野人に変貌する落差が一つの焦点となっている。ついでにフーコーの『狂気の歴史』に指摘された、狂人を拘束する時代の到来についても簡単に言及。

 夕方、後輩の皆さま(非常勤の先生、同僚の先生、若手の研究者)と相談事。みなさん、クレバーで責任感があって頼もしい限り。こういう方々とのお話は生産的でありがたい。